法隆寺は誰が建てたの? 法隆寺と左官の関係や「版築仕上げ」について解説

皆さん、こんにちは。

東京都調布市を拠点として、全国で左官工事をメインに手掛けている株式会社ワイズファクトリーです。


土や漆喰を塗り上げる「左官」は、伝統的な壁仕上げの工法です。その歴史は古く、日本でも数多くの建築物の仕上げに使われてきました。


もちろん、有名な城郭や神社仏閣にも左官の技術が使われています。何と、あの有名な奈良の「法隆寺」でも、左官工事が行われたことがわかっているのです。ここでは、法隆寺に用いられた左官工法「版築」について詳しく解説します。




■法隆寺は誰が建てたの? どんな建物なの?


法隆寺はとても有名なお寺なので、少なくとも名前は聞いたことがあるという方が多数派ではないかと思われます。また、旅行などで実際に訪れた経験のある方も多いでしょう。


とはいえ、「実はどういうお寺なのか、何がそんなにすごいのかはよく知らない」という方もいらっしゃるはずです。そこでまずは、法隆寺は誰が建てたのか? どんな建物なのか? といった基礎知識をご紹介します。


・法隆寺を建立したのは聖徳太子


法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にあるお寺です。聖徳宗の総本山で、かの聖徳太子ゆかりの寺院として広く知られています。


法隆寺はもともと、聖徳太子の父である用明天皇が、自らの病気平癒を祈って建立を発願したものでした。しかし、用明天皇は法隆寺の完成を見ることなく崩御されます。そのため、父の遺志を継いだ聖徳太子と推古天皇(聖徳太子の叔母)が建立計画を進め、飛鳥時代の607年に完成させたと伝えられています(諸説あります)。


ただし、現存する法隆寺は聖徳太子が建てたものではありません。『日本書紀』には、創建時の法隆寺は670年に焼失したと記されています。これは発掘調査によって裏付けが取れており、法隆寺はその後、7世紀末~8世紀初頭にかけて現在の場所に再建されたと考えられているのです。


・法隆寺を構成する建造物


現在の法隆寺の境内は、金堂や五重塔で構成される「西院伽藍」と、八角堂の夢殿を中心とする「東院伽藍」に分かれています。金堂に安置されているご本尊の釈迦三尊像(国宝)は、聖徳太子の姿をうつしたとされているものです。像の光背裏面には「623年(に当たる年)に、前年に他界した聖徳太子の冥福のため鞍作止利(くらつくりのとり)が造った」という銘があります。


また、東院伽藍は、かつて聖徳太子の一族が飛鳥から移り住んだ「斑鳩宮」の跡地に建てられたものです。739年に、聖徳太子の住んでいた地が荒れているのを悲しみ、行信僧都が建立したとされています。


・法隆寺は世界最古の木造建造物! 世界文化遺産にも登録


法隆寺の最も「すごいところ」は、西院伽藍の主要部(金堂や五重塔など)が、現存する世界最古の木造建造物であることです。1993年(平成5年)には「法隆寺地域の仏教建造物」として、日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。


また、ご本尊や金堂、五重塔などが国宝に指定されている他、約190件もの建造物・美術工芸品が、国宝または重要文化財に指定されています。法隆寺はまさに、1400年間の歴史を伝える極めて重要な建造物なのです。



■法隆寺は現存する最古の左官現場



前述したように、法隆寺の西院伽藍の主要部は、現存する世界最古・日本最古の木造建造物です。そして西院伽藍には、左官の技法を用いた土壁も存在しています。つまり法隆寺は、現存する日本最古の左官工事の跡でもあるのです。


代表的な部位としては、西院伽藍の金堂壁画が挙げられます。ここの壁は、木や竹を割ったものを格子状に組んで「木舞(こまい)」という下地を作り、その上に土を塗り上げて作られています。そして表面に白土を塗って仕上げ、そこに壁画が描かれているのです。


※木舞下地を使用した土壁内部


何しろ絵筆を走らせる場所ですから、表面は丁寧かつ平滑に仕上げなければなりません。実際、壁表面の仕上がりはとてもきれいです。そのため、当時すでに金属製のこてが使われていたと考えられています。現代と同じような左官という仕事が、この時代にはもう存在していたのです。


そして、法隆寺では壁画以外にも、南大門の左右に伸びる築地塀(ついじべい)などに左官技術が用いられています。詳しくは次の項目で解説します。




■法隆寺にも使用されている左官工法「版築」とは?


※版築仕上げによる法隆寺の壁


法隆寺の南大門の左右に伸びる築地塀や、各塔頭(たっちゅう)の周囲にある築地塀は土でできています。これらの土壁は、「版築(はんちく)」という左官工法で作られているのが大きな特徴です。版築土塀(はんちくどべい)がどのようにして作られるのかを見ていきましょう。


・版築ってどんな工法?


版築とは、突き固めた土の層を何層も積み重ねて作る土塀作りの工法です。基本的な手順としては、まず木の板で作った仮枠の中に粘土状の土を入れます。それを上から棒や「たこ」という道具で叩き締め、土の層を作ります。


枠の中がいっぱいになったら、板を継ぎ足すか別の長い板に交換し、再び土を入れて突き固めます。これを何度も繰り返すことで、大きく頑丈な土塀を作るのです。作り方の性質上、仕上がった土塀はミルフィーユ状となり、特徴的な横向きの縞模様が生まれます。


・版築はいつから使われているの?


版築の歴史は古く、もともとは中国で城壁や建築の基壇を作る際に使われていました。中国では、版築に向いた粒子の細かい黄土が手に入りやすかったため、多くの建造物に利用されたのです。


あの万里の長城や始皇帝陵といった巨大建造物にも、版築が活用されたことがわかっています。 日本では法隆寺の他、龍安寺や高松塚古墳などでも見られます。


このように素朴で伝統的な工法である版築ですが、実際に施工するとなると簡単には行きません。巨大な建造物を版築で作り上げるのは、大変な労力と大量の土が必要になります。そしてその土を、体積が半分になるくらいまで突き固めなければならないのです。しかも、仕上がりの状態は枠を外してみるまでわかりません。


とはいえ、かつては材料となる土が安く、工事に関わる人の手間賃も安かったことでしょう。それに加えて工法がシンプルなので、とにかく強固な壁を作りたい場合、版築はメリットが大きかったはずです。現代の価値観で見ても、自然素材のみを用いる版築は、再生可能で環境負荷が少ないエコな工法だといえます。


・版築ではどんな材料を使用するの?


版築に使用する土は、何でもいいわけではありません。頑丈な土塀を築くためには、砂・砂利・粘土のバランスが大切だからです。たとえば、粘土分が多すぎる土を使うと、乾燥によるひび割れが生じやすくなります。


工法自体がシンプルなだけに、土の成分は仕上がりに大きく影響するため、材料の調合はとても重要です。決まった配分があるわけではないので、どう調合するかは職人の経験に左右されます。土自体の成分が採取場所によって異なりますし、にがり(塩化マグネシウム水溶液)や石灰、水分を混ぜるなど、いろいろな工夫が必要です。


また、現在の版築では、強度を考慮して白セメントなどを加える場合があります。自然素材のみで版築土塀を作ると、倒壊のリスクを軽減するためにかなりの厚みを持たせざるをえず、多くの土と広い土地、そして人手が必要になるからです。ただ、歴史的建造物を修復する場合などは、自然素材のみで施工しなければならない場合もあります。




■まとめ:左官工は歴史と伝統を守る、魅力的な職業です!


(参照元:施工実績 岐阜県 蔵 修繕工事


法隆寺を見ればわかる通り、左官は長い歴史を持ち、伝統を受け継ぎながら技術を進歩させてきた仕事です。ただ壁に土を塗っているだけに見えるかもしれませんが、実際には高度な技術を必要とします。達人の仕事は芸術の域に達しているほどです。また、塗り壁は環境負荷が小さく、調質性や断熱性にも優れ、近年再評価が進んでいます。


一流の左官工になるためには長い年月がかかりますが、日々の業務を通じて自身の成長を感じられ、日本の優れた左官技術に誇りを持てる魅力的な仕事です。伝統文化を守る仕事がしたい方や、手先の器用さを活かした仕事をしてみたい方は、左官工を目指してみてはいかがでしょうか。




■ワイズファクトリーでは、未経験から一人前の左官職人を目指せます!



株式会社ワイズファクトリーでは、左官職人として一緒に働いてくれる仲間を大募集しています。私たちは、一般的な左官から特殊な左官まで幅広く対応し、未経験から多くの左官職人を育てている会社です。


研修内容は、どれも一人前の左官職人になるために考え抜かれたものです。左官の仕事は、日々の努力や探求が欠かせません。私たちは「躍進し続ける」をテーマに、技術を磨き続けています。


勤務時間は8時〜17時で、昼食と午前・午後に合わせて2時間の休憩を取る、1日7時間労働が基本です。基本的に土日休みで、GWやお盆、年末年始の休みも気兼ねなく取れるので、家族との時間をしっかり確保できます。福利厚生や年3回の賞与もあり、初心者でも安心して働ける環境です。もちろん、経験者の方は給与にしっかり反映します。


建設業界で手に職をつけたい方や、今のキャリアに悩んでいる方は、ぜひワイズファクトリーまでお気軽にご連絡ください。左官という伝統技術を継承しながらセンスを磨き、お客様の理想を一緒にかなえていきましょう。


求人情報はコチラ


お問い合わせはコチラ